昭和40年07月13日 夜の御理解



 今日も十三日会で、朝から午後の十三日会におかげ頂けない人たちが、お参りが続いておりましたし、午後ば午後で今日は何時もより多く、もうここは一杯でした。何時もお広前半分使うんですけど今日はお広前一杯使う程沢山な人たちが集まって、信心の共励に体験発表に夕方までおかげを頂かれた。後は経理の部門のかた達が総代さん達がほんな今さっき迄、話し合いして帰られました。
 十日は月次祭、十一日は総合委員会、昨日は美登里会、本当にあの金さえあれば、暇さえあればと云う丈ではとても出来ない芸当だと私は思うですね。私は本当にあの椛目のなにがなくても強みなんですけど、今日はあの秋永先生、委員長、そりから経理のかた達が、銀行関係のことで三四件銀行を回らせて頂いてから、ここのいろんな説明をさせて頂いたんですよね、(  )みんな何処も。
 ほんとにそれが事実とするなら大変な事ですねと云うてそのビックリしておられたと云う事です。神様の働きと云うのは人間の技、人間の思いとても、それでは想像つかないことがなされて行く、ま暇人ばかりの集まりね決してそうじゃない、お百姓しておられる方もあらゃ、やっぱりその人が中心になって一生懸命商売しておられる人もある。たちが十日から例えばこの十三日、四日間十日、十一、十二、十三ですかね。
 皆が皆じゃありませんけど、兎に角、昨日の美登里会のかた達なんかは、もうどの顔振れ見ましても、やっぱりその四日のどれにも、出て来た人達ばっかりなんですね、本当に信心はね、金さえあれば、暇さえあれば出来ると云うようなものではなくて、だんだんお繰り合わせを頂きまして、止むに止まれぬ思いが、いや神様を信ずれば信ずる力が強うなれば強うなるほどです。
 止むに止まれぬ思いがいや神様を信ずる力が強うなれば、強う成程です止むに止まれん思いも段々強うなって来て、そこにです、そこに私は本当に朝から晩までここへんの言葉で云うとずがでる程働いて、一生を働き人で終わっていく一生を働き人で終わっていく、成程働き人出終わって行くと云う事は有難い事の様であるけども、何を残して行くか何を持って行くかと働いて貯めた金をお棺の中に入れて行く訳にはいかん。ね、
 信心させて頂く者はです、あの世まで持っていけ、この世にも、残しておけると云うものをです、確かに、自分のこの心に、キャッチすることができる、感じることが出来る、ね、それが、楽しみとこうばかりではないのですけれどもです、私そう云う意味合いで、椛目のご信者さん方は、素晴らしいなと私は思うです。ね、もうあれだけの、毎日お参りが続いておるから、
 なら朝晩の御祈念に少なくなるかと云うと(・・・・?)こうやってお参りになっておられる。ね、そう云う信心をです、お互い今日、十三日会の御理解にもいただきましたように、例えば同じ紫陽花の花でもです、ね、白っぽい紫陽花もあればですね、草色がかったものありゃ、紫色がかったのもある。ね、言わば白々しい程度の人もある。信心の程度なんだ、止むにやまれん思いと言うものはかぎりがかい、ね、
 その限りのない信心を、私どもが追うて行く。それを求めて行く。それを自分のものにしていく。そこに私は限りのないおかげが、又約束されると私は確信致しますですね。どうでしょう、三十日を信心参りにかかつておる。そうでいて結構おかげもいただいておる。そう云う信心させて頂いたら、愈々お徳を身にうけて行くことが出来るでしよう。ね、       おかげを頂かねばいけません。